能楽「雷電(らいでん)」より、雷神・菅原道真の悪霊を描きました。


あらすじ
比叡山の僧、法性房僧正が天下のため護摩供養をしていると、
結願の夜、先日筑紫で亡くなった菅原道真の霊(前シテ)が訪れた。
かつて師弟であった二人は再会を喜び、道真は僧正への感謝を述べる。
やがて道真は「自分は冤罪で左遷され死にいたったので、雷神となって内裏に行き恨みをはらそうと思う」と言ったのち、朝廷は悪霊退散のために法性坊を招くだろうが、もし呼ばれても参り給うなと願う。
しかし法性房は「比叡山は天皇の祈願所であるため、三度勅使が来たら断れない」と答える。
それを聞いた道真の霊は、本尊の前に供えてあった柘榴を噛み砕き、寺の戸に吐きかけると扉は燃えあがった。
法性房が法力で消し止めると、道真の霊は姿を消した。
その後、案の定勅命が度重なり、内裏に召された僧正。
そこへ、雷神となった道真の怨霊が現れた。
しかしさすがの怨霊も、僧正の近くへは寄ることができず、遂に法力に屈してしまう。
道真は、朝廷から神号を贈られると、そのまま去ってゆくのであった。
雷電の舞台は前半は比叡山延暦寺(滋賀県)、後半は平安京の内裏に移ります。
菅原道真(菅丞相)が大宰府に左遷され憤死し、死後雷となって内裏に祟ったというエピソードをもとに構成された能です。
なぜ菅原道真が天神として祀られるようになったのか、その由来をこの能では現しています。
まず道真について紹介していきたいと思います。

菅原道真は平安時代の学者、漢詩人、政治家です。
菅原氏は代々続く学問の家系で、道真は幼少の頃より学問の才能を発揮し、わずか5歳で和歌を詠むなど、神童と称されていたそうです。
学問では学者の最高位であった文章博士(文章生に対して漢文学及び中国正史などの歴史学を教授した)となり、弓の名手として武芸にも秀でていました。
学者として活動していましたが、宇多天皇に大層気に入られ政治家に出世します。
宇多天皇が譲位した後は、左大臣の藤原時平に対して、道真は右大臣にまで登りつめます。
しかし、当時の有力貴族であった藤原家や他の貴族達はそれを快くは思わず、学者の立場で出世の道を辿る道真を妬むようになります。
その嫉妬から左大臣の藤原時平に諫言され、
その言葉を信じた醍醐天皇は、無実である菅原道真を九州の大宰府へ左遷させてしまいました。
左遷された道真は、劣悪な環境の中でついには病にかかり死去してしまいます。左遷されてから二年後の事です。
道真の死後、京の都では次々と異変が起こり始めます。
道真の左遷に関わった人物は疫病や落雷、天災などによって次々と亡くなっていきました。
藤原時平も病死したそうです。
この次々と起こった怪死事件を菅原道真の祟りだと恐れた朝廷や民衆は、怨霊となった道真を鎮めるため、京都に北野天満宮を創建します。
そうして、菅原道真を天満天神として祀るようになったと言われています。
北野天満宮は、全国各地に数多く建立されています。
天神様は学業・豊穣の神として祀られていますが、信仰される一方で、歴史的な怨霊である故に、災いを招く神として畏怖もされたそうです。
北野天満宮、中学の修学旅行で学問の神様だ~と何も考えずにお参りしてましたが、いわゆる怨霊の封じ込めで建てられた場所だったのですね。
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雷電の中の道真は、最初は黒頭に亡霊の証拠である怪士の面を付けた男の姿であらわれます。
法性坊と生前に師弟関係にあった二人は再開を喜び語り合うのですが、
道真は自分が冤罪によって左遷され死に至ったことを死しても恨んでいる怨霊でした。
これから内裏を祟るつもりでいるため、法性坊に勅命があっても参内しないでほしいと頼みますが、断られ、怒って去っていってしまいます。
その後、今回の作品のような雷神の姿となって暴れまわり、内裏で法性坊と戦います。
この場面は、清涼殿落雷事件(930年)という事件を現しているようです。

ここの場面は、能舞台では一畳台(少し高さのある畳の台)が並んで出され、紫宸殿などの内裏の建物を表します。雷神と僧正がこれを渡り合います。
僧正はそれほど飛びませんが、雷神は雷の音を表すために大きく台に飛び乗ったり、降りる際も大きく跳ねます。今回描いた絵はその場面を描いています。
これはその雷神と僧正の戦いの場面の詞章です
不思議や僧正の。
おはする所を雷恐れて鳴らざりけるこそ奇特なれ。
紫宸殿に僧正あれば。弘徽殿に神鳴する。
弘徽殿に移り給へば。清涼殿に雷なる。
清涼殿に移り給へば。梨壷梅壷。昼の間夜の殿を。
行き違ひ廻りあひて。われ劣らじと祈るは僧正。鳴るは雷。
この図には平安京の内裏の名前が並んでいます。

このように「紫宸殿に僧正あれば。弘徽殿に神鳴する。」は紫宸殿に僧正が居れば弘徽殿で雷鳴がしたという意味になります。
僧正が移るところには当たらないということです!僧正強い!
そして戦いの終盤、法性坊は雷神を追い詰め、「千手陀羅尼(せんじゅだらに)」を読み終わると、雷神は「これまでなりやゆるし給え」と平伏します。
朝廷は「天満大自在天神」という称号を道真の霊に贈ります。
道真の霊はこれに喜んで、「生きての恨み死してのよろこび、これまでとて、黒雲に打ち乗って虚空にあがらせたまえり」と言って去っていきます。
この雷電、宝生流では「来殿」と書き、後シテが雷神ではなく天満天神で貴族のような出で立ちになり、最後は國土成就を願って舞うという全く違う話になっています。
私的にはそちらのお話は違和感があるので、宝生流で数年前に復刻した元の「雷電」のほうで描かせていただきました。
上の狩衣は紗綾形の地へ輪宝の中に三つ巴の雲紋が入った模様、
中には鱗の摺箔、
山道と一つ巴が散らばった半切(袴)を付けています。
背景は黒雲と轟く雷をイメージしました。中々禍々しく描けたのではないでしょうか??
もう一つの「来殿」についてもまたいづれ描きたいと思います。
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