草薙(kusanagi)

能楽「草薙くさなぎ」から、

後シテの日本武尊(ヤマトタケルノミコト)を描きました。





録画を観返していたら、新春能で草薙が演じられていましたので少し遅くなりましたが描いてみました。(*’▽’)

草薙のあらすじは、

比叡山の恵心僧都えしんそうず(平安中期の天台宗の僧)が尾張国熱田神社に山籠さんろうし、

最勝王経さいしょうおうきょうを講じていると、毎日男女二人の花売りが来ます。

名を尋ねると、二人は夫婦で、男は草薙の神剣を守る神で、女は齢を延べる仙女であると言い、

七日目の満願の夜に姿を見せると言い消えていきます。

そして七日の満願の時、日本武尊やまとたけるのみこと橘姫たちばなひめの霊が現れます。

東夷退治の時、熱田の神剣を賜り、駿河国で敵に囲まれ火をまかれたが、この神剣のお陰で敵を滅ぼす事ができたと話します。

その後、神剣は熱田に治り、国も平和に豊かになり万民も栄える事、

これも最勝王経の御経の功徳のありがたさであると称え、消えていきました。


草薙の舞台は尾張国熱田神社。熱田神宮です。

最勝王経とは、金光明最勝王経の事で、仏教の経典の一つ。この経を聞いて信受するところには四天王など諸天善神の加護が得られると説いているとあります。

日本武尊は、第12代景行天皇の皇子で、第14代仲哀天皇の父にあたり、熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄とされています

橘姫は日本武尊の妃とされています。

能のタイトルの「草薙」の剣は、日本武尊の帯びていた剣です。元の名は天叢雲剣あめのむらくものつるぎ

出雲で素戔嗚尊すさのおのみことがヤマタノオロチを倒した際にその尾から出てきたもので、三種の神器の一つとされています。

東夷征伐の時、駿河国で野火攻めに遭い、神剣を振るい野火を薙ぎ払ったことから草薙の剣と呼ばれるようになったようです。


能の中では、

東夷征伐に出発した尊の前に、素戔嗚尊の時に斬られた大蛇が、草薙の剣を奪い返そうとして今度は大きな山となって遮ろうとする。これを駆け破って通ったので二村山が出来たのである。

その後駿河の国まで攻め下った尊に、十万余騎の賊が降参してきた。

賊は降伏したと見せかけて尊を狩りに誘って誘い出し、四方から枯野に火を放って取り囲んでしまう。

これに対して尊は草薙の剣で周囲の草を薙ぎ払う。すると、剣の精霊が嵐となって焔も草も巻き込んで敵方へ吹き返され、数万の敵を焼き殺します。

こうして草薙の剣は熱田の宮に納まり、尊も無事に難を逃れて世を治めた。

というお話が書かれています。

平物で特に目立った見せ場は無いような感じを受けましたが、

後半、橘姫が舞ってその後に日本武尊が舞う中で草を薙ぎ払う場面が印象に残りました。

この草薙は、宝生流にしか無い演目だそうです。

日本武尊の詞章の中で、

「 景行天皇第三の皇子、日本武尊で、神剣を守る神となった。即ち素戔嗚尊の神霊なり。 」

という場面があります。自分は日本武尊であり、素戔嗚尊でもあると言っているような言葉です。

今回描いた絵では、草を薙ぎ払うので草むらに立っているのでしょうが、背景としてあまり面白くなく感じてしまったのでどちらかと言えば素戔嗚尊の方を参考に描きました。

雲海のなかで草薙の剣を振るっているので少し変な場面に見えるかもしれません。。(*´▽`*)

新春能で放送されていた中で宝生流宗家がいろいろ解説をして下さっていましたが、

着けているおもては「木汁怪士きしるあやかし」という面だそうです。

「怪士」の面は武将の亡霊や怨霊を表します。この面は表面に木の脂が滲んでいるので、より効果的に表現されるそうです。

描き終わってから顔が怖いなと思いましたが描き直しませんでした(笑)

録画した動画を何回も確認しながら描きましたが、

装束の柄が探してもあまり見たことのない柄が多く、かなり悩みました。

半切(袴)の模様は毘沙門亀甲という柄のようです。雲のような柄は何だか分かりませんでした。。

もしかしたら波なのかもしれません。。

私の絵は目が少しチカチカする色合いになってしまいましたが、実際は柄は派手ながらももう少し落ち着いた色合いだと思います。

背景を少し地味にして調節しようとしましたが今一つ調和しませんでした。

今回和紙テクスチャに乗算で描いていったのでいつものようにグラデーションを使っていません。

困ったときのグラデーションですが和紙の質感を活かして神話っぽさを出したかったので我慢しました。

でも肝心の人物と調和出来ず・・・(;´・ω・)

昔の雰囲気の背景が表現できるよう精進します。

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