能「箙」より、梶原源太景季の霊を描きました
登場人物
前シテ – 男
後シテ – 梶原景季の霊
ワキ – 旅の僧
ワキツレ – 同行の僧
場所
摂津国 生田の森〈現在の兵庫県〉
あらすじ
西国の僧が都へ行く途中、生田の森を訪れます。
そこで咲き誇る梅に気づいて僧が眺めていたところ、一人の男が通りかかります。
旅僧が梅の名を男に尋ねると、この梅は「箙の梅」と呼ばれていると答えます。
昔、生田川周辺で源平の合戦があり、梶原源太景季が梅花の枝を箙(矢を入れて携帯する道具)に挿して奮戦した事が由来だと教え、源平の合戦の様子を語り始めます。
やがて夕刻になり、僧が一夜の宿を請うと、
男は自分こそ景季の霊だと告げ、姿を消してしまいます。
夜半に僧が梅の木陰で休んでいると、箙に梅を挿した若武者が現れました。
僧が誰かと問うと景季の霊だと答え、修羅道の戦いに駆られる様子を見せます。
そして一の谷の合戦で箙に梅の枝を挿し、先駆けの功名を得ようと敵に向かい、秘術を尽くして戦う場面を見せるうちに夜が明けてきました。
景季の霊は僧に暇を告げ、供養を頼むと、
散りゆく梅の花にまぎれそのまま消えていくのでありました。
梶原源太景季()
梶原景季は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将です。
源頼朝にも重用されたという梶原景時の嫡男。
景季も源頼朝に臣従し、治承・寿永の乱で活躍します。
武勇と教養に優れており、父とともに鎌倉幕府の有力御家人となりますが、頼朝の死後に没落し滅ぼされてしまいます。
この景季は弓の名手だったそうで、
この能の題名にもなっている「箙」は昔の武将が矢を入れていた道具の事で、矢筒のような物でした。
えびら【箙】 ・・・ ⇐ 画像を見たい方はこちらからどうぞ(コトバンク)
基になったとされている『源平盛衰記』によると、
一ノ谷の戦いの時に景季はこの箙に梅の花の枝を笠印(戦陣で敵・味方識別のためにつけた標)として挿して奮戦し、坂東武者にも雅を解する者がいると敵味方問わず賞賛を浴びたと記されています。
風に吹かれた梅の花弁がはらはらと散り、
香りが漂う様に敵味方問わず風情を感じたという華やかなエピソードです。
この華やかさや景季自身が見目の美しい武将だったと描かれる事もあり、
箙の梅を基にした題材は能だけではなく、歌舞伎演目や浄瑠璃を始め色々な場面で今も親しまれています。
生田神社
この「箙の梅」が兵庫県神戸市にある生田神社の境内にあります。
神功皇后元年(201年)という1800年以上も前に創建され、
空襲や阪神淡路大震災などの中で何度も復興されてきた由緒ある神社です。
能「箙」の舞台が「摂津国 生田の森」とありますが、
この生田の森が生田神社の境内北側に広がっており、今も親しまれています。
歴史が長い事もあり、昔から色々な武将や歌人に親しまれた神社だったようです。
生田神社の御祭神は稚日女尊(わかひるめのみこと)。
伊勢神宮の祭神である天照大御神の和魂(神の優しく平和的な側面)あるいは妹神と伝わっているそうです。
神代の昔、神服を織っておられたと書いてありました。
詳しくは神社のHPへどうぞ(生田神社公式ページ)
見どころも多く、箙の梅と一緒に謡曲「箙」の立札もありますので、ぜひ機会があれば足を運ばれてみて下さい。
みどころ
この「箙」は以前描いた「屋島」、そして「田村」と3演目合わせて「勝修羅物」と呼ばれます。
修羅物は脇能(初番目物)の次の2番目に演じられます。
『平家物語』の登場人物の霊が現れて、生前の勇ましい戦いぶりを回想したり、死後の苦しみを見せたりする能です。
昔から武士は殺生を繰り返した罪で、死後は戦いにあけくれる「修羅道」へ堕ち、
苦しみ続けると考えられていました。
勝修羅とは勝ち戦の人物がシテ(主人公)となる物で、屋島でもそうでしたが春の情景が感じられる颯爽とした終わり方をする能です。
この3演目、使用する扇は勝修羅扇の「老松に旭日」、面は平太と決まっているので写真などだけで見ていると見分けがつきにくいです(笑)
唯一のこの「箙」は、梅の枝のお陰で見分けが付きます。
能の中の話も分かりやすく、
後半の合戦などの様子では、扇と刀の両方を使って舞う場面が謡と共にとても躍動感があり楽しめるので、初心者の方にもおすすめの演目です。
詞章の一部抜粋
(生田の森での合戦の様子と、箙に梅を挿す場面)
言葉が難しいかもしれませんが、下に分かりにくい語を解説してありますのでぜひ目を通してみて下さい
暫く心を静めて見れば。
所は生田なりけり。時も昔の春の。梅の花盛りなり。
一枝手折りて箙に挿せば。もとより窈窕たる若武者に。
相逢ふ若木の花かづら。
かくれば箙の花も源太も我さき駆けんさき駆けんとの。心の花も梅も。
散りかゝつて面白や。
敵の兵(つわもの)これを見て。あっぱれ敵よ逃がすなとて。
八騎が中にとりこめらるれば。
兜も打ち落されて。
大童の姿となつて。郎等三騎に後を合わせ。
向ふ者をば。拝み打ち。
又巡り合へば。車斬。
蜘蛛手かく縄十文字。
鶴翼飛行の秘術を尽すと見えつるうちに。夢覚めて。
夜も明くれば是までなりや旅人よ。暇申して花は根に。
鳥は古巣に帰る夢の鳥は古巣に帰るなり。
よくよく弔ひて給び給へ。
窈窕
能の中では「みやび」と読ませています。
美しく淑やかであるさま。上品であるさまを表します。
大童の姿
髪の結びが解けて、童の髪型のように乱れ垂れること。また、その髪。ざんばら髪。
参考多く、戦場で兜を取って乱れ髪で奮戦する事をさします。
拝み打ち
刀を両手に握り、頭上に高くふり上げて切りおろすこと。
車斬
胴などを刀で横に切り払うこと。
蜘蛛手かく縄十文字
(蜘蛛の足のように四方八方に、昔の菓子「かくなわ」の形のように結びまつわるように、あるいは十文字に、刀をふりまわす意)
周囲の敵と切り結んで暴れ回るさまにいう語です。
暇申して花は根に。
鳥は古巣に帰る夢の鳥は古巣に帰るなり。
花が根に、鳥が古巣に帰るように、自分は冥途(死者が行く世界)へ帰るという意。
装束について
頭には梨打烏帽子を被り、白い鉢巻をしめています。
面は平太という名前の能面です。
勝修羅能の専用面で、勇ましい武士を現します。
日焼けした褐色肌、吊り上がった眉(鉢巻で見えませんが)や眼、
雄叫びをあげる開いた口が特徴とされています。
過去に描いた船弁慶の怪士面と似ていますが、怪士が目に金が入るのに対し、平太には入っていないとありました。
父から「笑っているね」と言われたので、
勇猛というよりかは少し表情が優しすぎたかもしれません
上には色入りの厚板、法被を着ています。
厚板は中の橙色の着物のほうです。
正確にはまだまだ再現出来ていませんが、前回の野守からイラレで紋様を作ってみてます。
ひし形が重なったようなギザギザの紋様は「松皮菱」
右上の車輪のような紋様は輪宝紋と瑞雲
右下、左上の丸っぽい変わった形の紋様は「打板紋」
左下は袴の柄と同じで、「毘沙門亀甲」と言います。これまでにも登場しています。
派手にしつつ、色浮きしないように組み合わせるのが大変でした。
上の法被は、紋様の名前は分かりませんが、花菱紋と雷門が合わさって出来ています。分かりにくいですが紫地に金で描かれています。
腰帯は「源氏車」
源氏方の武将なので使われるのだと思います。
背は詳しくは分かりませんが、袖を丸めて織り込んで箙のように見せているようです。
(違うかもしれません(^-^;)
梅の枝を挿してあります。
扇は勝修羅扇の「老松に旭日」
屋島の時と同じ扇ですので、ぜひ見比べてみて頂きたいです。
このシーンはちょうど「車斬~」などと刀での秘術を見せている場面から描きました。扇と刀を使いながら舞う見せ場の場面です。
背景には背中の梅とも被ってしまいますが、やはり箙の梅を。
そして瑞雲と矢車の紋。梶原景季は弓の名手だったので、弓矢繋がりで入れてあります。
修羅道の責めで苦しんでいたので明るい色は避け、幽界のような世界で仄かに梅の香りが漂っているような姿をイメージしながら描きました。
重くなり過ぎず、爽やかな雰囲気に仕上がったと思います。
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