能「海人(海士)」より、シテの龍女です
前シテ 海女 (藤原房前の母の霊)
後シテ 龍女 ( ” )
子方 藤原房前
ワキ 藤原房前の従者
ワキツレ 同行の従者2~3人
場所 讃岐国志度浦〈香川県讃岐市〉
季節 春/四五番目物、略脇能
あらすじ
幼少期に母と死別した大臣・藤原房前は、僅かな情報を頼りに、亡母を追善しようと讃岐の国志度の浦を訪れます。
志度の浦で大臣一行は、一人の海女に出会いました。
一行としばし問答した後、海人は従者から海に入って海松布(ミルという海藻のこと)を刈るよう頼まれ、そこから思い出したように、かつてこの浦であった出来事を語り始めます。
淡海公(藤原不比等)の妹君が唐帝の后になったことから贈られた面向不背の玉が龍宮に奪われ、それを取り返すために淡海公が身分を隠してこの浦に住んだこと、淡海公と結ばれた海人が一人の男子をもうけたこと、そして子を淡海公の世継ぎにするため、自らの命を投げ打って玉を取り返したこと
を語りつつ、玉取りの様子を真似て見せた海人は、自分こそが房前の大臣の母であると名乗り、涙のうちに房前の大臣に手紙を渡し、海中に姿を消しました。
房前の大臣は手紙を開き、冥界で助けを求める母の願いを知り、志度寺にて十三回忌の追善供養を執り行います。
供養を始め、亡母に法華経を手向ける房前。するとそこへ、龍女の姿となった母の霊が現れます。
彼女は、法華経の功徳によって救われたことを喜ぶと、女人成仏の奇蹟を目の当たりに顕わすのでした。
海士の玉取り伝説
この能のお話の典拠は「志度寺縁起」や「日本書紀」を参考にしたと言われています。
子方として登場する藤原房前は、飛鳥時代から奈良時代前期にかけての貴族で、藤原不比等を父とする藤原四兄弟の次男です。
香川県のさぬき市に次のような伝説が言い伝えられています。
《 海士の玉取り伝説 》
【 歌川国芳 / 龍宮玉取姫之図 】 壁紙ギャラリーkagirohi http://kagirohi.art/
時は千三百余年前。
唐に嫁いだ藤原鎌足の娘白光は亡き父の供養物として数々の宝物を兄の藤原不比等に届けようとしました。
ところが、宝物を積んだ船が志度の浦にさしかかったとたん嵐が起こり、中国に二つとなき宝物「面向不背の玉」が龍神に奪われてしまったのです。
不比等はこの玉を取り戻そうと、公家の高官である身分を隠し、淡海(たんかい)と言う名で志度の浦へやってきました。
ここで漁師の娘であった海女と恋に落ちたのです。
”房前”という男の子も授かり親子三人で幸せに暮らしていましたが、不比等は数年後素性を明かし、玉の奪還を海女に頼みます。
海女は「私が玉を取り返してきましょう。その代わり、房前を藤原家の跡取りにすることを約束してください。」と言い、玉を取り返すべく龍宮に向かったのです。
海上で待つことしばし。
海女の合図で命綱をたぐった不比等の前に現れたのは、龍に手足を食いちぎられた見るも無惨な海女の姿でした。
海女は間もなく、不比等に抱かれたまま果ててしまいました。しかし、玉は海女の命に代えて十字に切った乳房の中に隠されていたのです。
不比等は亡くなった海女を志度寺に葬ると、残された房前を都に連れて帰っていきました。
藤原一族として高官に出世した不比等と海女の子である房前は、母の最期を知った後に志度寺を訪れ、千基の石塔を建立し、小堂を大きな堂塔に立て替え、さらに法華八識を納めて亡き母の菩提を弔いました。
この伝説の部分は能の中でも海女の口から語られている場面と一致していて、「玉の段」と呼ばれる有名な部分です。
宝である「面向不背の玉」とは、次のように説明されています。
『 玉中に、釈迦の像まします。何方より拝み奉れども同じ面なるによって、
面を向ふに背かずと書いて。面向不背の珠と申し候。 』
つまり、どの方向から見ても、お釈迦様の像がこちらを向いている不思議な珠という事なのです。
本当にそんなことがあるのかな?と想像しきれない部分もありますが、この不思議な珠が唐から送られてきた三つの宝のうちの一つだそうです。
面向不背の玉を乳房の下を掻き切って押し込めた、という実際に考えてみるととても過激な場面が描かれていますが、海女の命懸けで取り返すという決意の様子が垣間見れる場面だと思います。
『面向不背の玉』は奈良の興福寺に納められましたが、なぜか今は竹生島の宝厳寺にあるそうです。なぜ宝厳寺にあるのかは今も謎のままだそう。
竹生島・宝厳寺ホームページ 『面向不背の玉』
志度寺
香川県さぬき市志度にある真言宗善通寺派の寺院です。
本尊は十一面観音菩薩。
境内の一角に「海女の墓」と呼ばれる五輪塔群があります。
この墓に藤原不比等・房前親子にまつわる伝説が残されており、志度寺縁起にある「海女の玉取伝説」として有名です。
志度寺HP
能のみどころ
シテの海女は前半は海女の姿で、後半は「龍女」の姿で登場します。
どちらの姿でも藤原房前の母ということに変わりはありません。
前半の見どころは前に紹介した龍宮から珠を奪い返す様子を見せる「玉の段」の場面です。命を懸けて悪龍から玉を奪い返す場面は、海女という女性の姿でありながらも気迫に満ち溢れます。
後半の龍女の姿で現れる場面では、女性の姿では珍しい頭に龍の被り物を戴いた姿が見られます。
この龍戴は「女龍戴」と言われ、普通の龍神で使用する龍戴よりも一回り小さいようです。
なぜ海女であった房前の大臣の母が龍女で現れたのかと驚きますが、
能の中では「天竜以下八部衆 人も非人も遥かに龍女の成仏を見た」という法華経の一部分が述べられています。
関連しそうな事を少し調べてみたところ、こちらの二つが出てきました
女人成仏【女人が法華経によって仏になる】
・・・女性も男性と同様に悟りを開き、仏になることができるということ。 古来インドでは女性の地位を低くみており、釈尊も初めは女性が僧団に入ることに反対した
竜女成仏【八歳の竜女が蛇身のまま即身成仏した】
・・・法華経以前の教えでは、〝女性は仏にはなれない〟とされていた。
しかし、提婆達多品(だいばだったぼん「妙法蓮華経」巻五の最初の品名)において「竜女」が成仏を果たしたことで、男女を問わずあらゆる人に仏性という清浄にして力強い生命が具わっており、即身成仏(凡夫の身に仏界の生命を顕すこと)できることが明かされた
法華経の事については私も詳しくは分かりませんが、こちらの考えと房前の大臣の母を合わせて描いたのかと思います。
仏の功徳によって成仏する場面は沢山ありますが、人間が龍女に変じる作品は珍しいですね。
前半、後半の見どころ含め、とても印象に残る良い作品だと思います。
装束について
頭には龍戴、そして黒垂という長い髪の鬘を被っています。
面は「泥眼」と呼ばれる能面です。
白目の部分と歯が金で塗られている面ですが、龍神のように大きな目で大きな口を開いている訳ではないので、絵では上手く表現出来なかったのが残念です。
眉は下がり気味で少し悲しげにも見えます。
人間では無い龍女や、嫉妬に苦しむ女性の役にも使用される面です。
中に着ている着物、摺箔には鱗紋様。蛇や龍を表します。
上に羽織っている装束は舞衣と呼ばれます。絽や紗の生地に金糸や色糸で模様が織り出されており長絹と似ていますが、両脇を裾まで縫い綴じてあるのが特徴のようです。
舞衣には唐草紋様と桐の花、菊が描かれています。
袴は女性物では今までに描いた事の無い強めの印象にしてみました。
あまり若くて可愛いらしいイメージにならないよう赤は抑えた暗めの色にし、船弁慶などで使用しているような波の模様が描いてあります。
美しいですが普通の雅な女性ではなく、過酷な過去を持った力強い女性、美しく気高い龍女を目指して表現しました。
手には経文が書かれた巻物を持っています。
背景は海の中に居るイメージです。面向不背の玉と蓮の花を添えました。
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