楊貴妃と「玉簾」を描きました。
あらすじ
唐の玄宗皇帝は、安禄山の乱により亡くなった楊貴妃を忘れられず、配下の方士に楊貴妃の魂の行方を探し出すよう命じました。
方士は仙術を駆使して東海上の仙境・蓬莱宮に至り、そこに住む者から楊貴妃の居場所を聞き出します。
方士が教えられた太真殿に行くと、そこには孤独な日々を送る楊貴妃が居ました。
方士は楊貴妃に、玄宗皇帝の悲しみ、嘆きの深さを訴えるとともに、楊貴妃と会ったことを証明する証拠がほしいと申し出ました。
楊貴妃はこれに応え、髪に挿していた釵(かんざし)を、方士に渡そうとします。
ところが方士は、よくある品物では証拠にならない、玄宗と楊貴妃との間で人知れず交わされた言葉があれば、それを証にしたいと伝えます。
楊貴妃が語ったのは、比翼連理の誓い(天にいれば翼を並べて離れない鳥になろう、地上にあれば枝を連ねて離れない木となろう)でした。
それは楊貴妃が七夕の夜、牽牛織女に誓って、玄宗と交わした睦言だったのです。
楊貴妃は、玄宗と離れ離れになった身の上を嘆きながらも、愛に生きた昔を懐かしみ、思い出の舞を舞いました。
その後、釵を携えて方士は現世へ去り、楊貴妃はただ独り宮の内に座り込むのでした。
楊貴妃
楊貴妃とは、中国の唐の時代に玄宗皇帝の皇妃であった女性です。
楊貴妃はクレオパトラ、小野小町とともに世界三大美人としても有名です。
「楊貴妃」「西施」「王昭君」「貂蝉」で中国四大美人とも言われます。
どれだけ美人だったのかと思ってしまいますが、
現在の美人の基準と違うのでふくよかな女性だったそうです。
また、才知があり琵琶を始めとした音楽や舞踊にも秀でていたことでも知られています。
玄宗皇帝が寵愛しすぎたために安史の乱を引き起こしたと伝えられたため、傾国の美女とも呼ばれています。封神演義に出てくる殷王朝の妲己もそうですね。
楊貴妃の生い立ちなどについては↑のリンクからご覧下さい。
楊貴妃はもともと玄宗皇帝の息子の妃として入内しますが、玄宗に見初められ后となります。
貴妃とは皇帝の妃の位の一つで、楊家の娘であったので楊貴妃と呼ばれました。
その後、玄宗皇帝の寵愛によって彼女の一族が高位高官を独占し、唐の政治は大混乱となります。
そこで安禄山が安史の乱を起こします。玄宗皇帝は楊貴妃と共に長安を離れましたが、兵士たちの間で馬嵬の地で政治の乱れの元凶は楊貴妃であると反乱が起き、楊貴妃の処刑を求めました。
玄宗皇帝は泣く泣く楊貴妃を処刑しました(正確には縊死(自殺)させたそうです)
玄宗皇帝が方士に楊貴妃の魂魄を探させた話は、白居易の「長恨歌」が基になっているので、この能もそのストーリーを舞台化した物とされます。
国の反乱の元となったと言われたことから楊貴妃は悪女と思われる事も多かったようですが、
楊貴妃の思惑で争いが起きたというよりも、どちらかと言えば玄宗皇帝や楊貴妃の親族など周りの人間の行動が災いしてそれに楊貴妃が巻き込まれてしまったように感じます。
同じ傾国の美女と呼ばれている妲己とは少し性格が違い、可哀想な女性であった印象を受けました。
能の中の楊貴妃
能では幽霊が現世に現れるパターンが多いですが、この能では方士と呼ばれる古代中国で神仙の術を身に着けた道士が仙術を使って蓬莱島へ行きます。
今では信じられない事ですが、この時代には死者の国を行き来出来る人がいたようです。
蓬莱島は仙人が住むと言われている常世の国。そこに楊貴妃の魂が居ました。
出会った証拠にと簪を方士に渡そうとする楊貴妃でしたが、方士は現世に簪はいくつもあるので、二人で交わした約束が無いかどうか尋ねます。
すると楊貴妃は七夕の夜に星に誓った言葉を伝えます。
「天にあらば願わくは比翼の鳥とならん。地にあらば願わくは連理の枝とならん」
比翼連理という言葉がありますが、これも白居易の『長恨歌』に出ているそうです。
「天では常に翼を並べて離れぬ鳥、地にあれば枝を並べて離れぬ木となろう。」という意味があり、夫婦が仲睦ばしく、強く結ばれていることの例えで使われます。
このような言葉を玄宗皇帝と交わしたにも関わらず自分だけが常世の国へ来てしまった事を楊貴妃は嘆いていたのです。
その後方士が去る前に霓裳羽衣の曲の舞を見せます。
この曲は玄宗皇帝が楊貴妃の為に作ったとされる曲で、月宮殿(月の都)に行った時に天女が舞っていた曲の調べを聴いて楽士に作らせた曲とも言われています。
その美しい舞いを終えると、楊貴妃は方士に形見の簪を渡し、方士は現世へと戻っていきます。
装束について
上に羽織っている豪華な装束は唐織といいます。
船弁慶の静御前で着付けていた装束と一緒ですが、こちらは壺折という着付け方だそうです。
鳳凰や桜、楫の葉などの文様が描いてあります。
同じ唐織でも、静御前の唐織とはまた違った表現が出来たように思います。
頭には仙女を表す天冠、能面は増女をモデルに描いています。
赤い袴は緋大口といい、位の高い女性に用いられるようです。
手には唐団扇を持っています。中国の雰囲気を出す目的と、人間ではない存在を示す意味もあるそうです。以前描いた同じく中国を舞台にした能、「天鼓」でも袴に描かれています。
今回は楊貴妃の小書である玉簾の場面を描きたくて制作しました。
今年、能の絵を描き始めた頃に描きたいなと思っていた場面だったのですが、技術不足で多分描けないだろうと温存していました。
いつも丸形ですが、この絵は好きな形で描こうと決めていたのでいつもより大きなキャンバスにしました。楊貴妃・玉簾・玉簾に使う鬘帯・唐団扇と4枚のパーツに分けて制作し、最後に合わせて調整し、背景を描いています。(文様まで計算するともう少し多い)
気合を入れて制作したので挫けはしませんでしたが、過去最高に神経を擦り減らした作品となりました(笑)ですが望んでいた通り豪華な仕上がりとなり満足しています。
この玉簾は、九華の帳と呼ばれる色々な模様を織りなした帳に見立てて作られているそうです。
沢山の鬘帯が掛かっていてとても豪華な作り物です。
背景には、中国風の建物と天上界をイメージした背景になってます。能の話では常世の国なのでもっと暗くしないといけないのかもしれませんが、本当に美しい場面ですし、楊貴妃には華やかな背景が似合うと思いこうなりました。
牡丹の花は、楊貴妃も愛でていたという言い伝えがあり「楊貴妃」で検索すると頭に牡丹が乗っている姿が沢山出てくるので周りに飾りました。
背景はほとんどが写真の合成で出来ています。所々あえて写真の雰囲気を残してみました。
牡丹は線画を描き、そこから何種類かに加工しています。
楊貴妃は他にも白い装束や天冠に鳳凰を載いた出で立ちなどもあるので、また描く事があるかもしれません。
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