能楽「国栖」より、後シテの蔵王権現を描きました。
国栖のあらすじです
伯父の大友皇子に襲われ、叛逆に遭った清見原天皇が臣下に伴われて吉野山中・国栖の里へ迷い込み、一軒の庵で休んでいました。
するとそこへ老翁と姥が帰ってきて、夫婦はみすぼらしい我が家の上に不思議な兆しを見て、貴人が入られたのではないかと考えます。
夫婦は、事情を聞いて帝を家に匿いましょうと言い、摘んでいた根芹を洗い、国栖魚(鮎)を焼いて、もてなします。
帝は、魚の片身を残して老爺に与えました。
魚が生き生きとした様子なので、老爺が川に放すと国栖魚は生き返り、老爺は帝が都に帰ることを示す吉兆だと言い、帝を励まします。
そこに敵の追っ手がやってきましたが、老爺は機転を利かせて、裏返しの川舟の後ろに帝を隠します。
追っ手があれこれ尋ねるのを、老爺はとぼけてやり過ごしますが、舟を怪しまれて検分させよと迫られます。
老爺は拒絶し、怒って近隣の一族を大声で呼びます。
その気迫に恐れをなした追っ手一行は、逃げ出していきました。
窮地を救われた帝は、夫婦にねぎらいの言葉をかけ、夫婦は感激して涙を流します。
やがて夜になると、老人夫婦は消え、辺りは幻想的な雰囲気となります。
やがて妙なる音楽に引かれて天女が現れ、舞の袖を翻し、
その音楽に引かれ今度は山の守護神・蔵王権現が姿を現し、威光を示して将来の帝の御代を寿ぐのでした。
国栖は、壬申の乱(672)をもとにして作られた能です。
曲名の「国栖」とは、吉野地方の先住民族の呼び名で、「国樔」「国巣」とも書かれ、彼らの住んでいた地域の名にもなっていました。
曲中に「国栖魚」と出てきますが、 鮎が奈良の吉野郡国栖地方の名産であったことから、異名となっているそうです。
帝から下賜された鮎の焼魚の残りを川に放すと生き返り、老翁が吉兆として皆を励ます場面は
「鮎の段」と呼ばれ、仕舞でも舞われる見どころのある場面です。
話の舞台は大和国吉野山中・国栖の里。現在の奈良県です。
国栖の里は現在も残っていて、大海人皇子が伝えたといわれる紙漉きや、吉野の杉やヒノキから作られる吉野割箸など、自然を生かしたものづくりが今も盛んにおこなわれているそうです。
吉野の高級割り箸・・・美味しく食べられそうです。
演目の題材になっている「壬申の乱」について。
もう十●年前に習った事で忘れてるので(笑)調べました。
壬申の乱は、古代日本で起こった最大の内乱。
大化の改新と呼ばれる政治改革を進め、中央集権国家の建設を目指していた中大兄皇子こと天智天皇が671年に崩御します。
その翌年672年に天皇の弟の大海人皇子と、天皇の長子である大友皇子が皇位継承を巡って争いました。
能の中では違う設定になっていますが、
大海人皇子と大友皇子の2人は叔父と甥の関係です。
本来天皇家の仕来りでは弟の大海人皇子が継ぐ掟だったのですが、
天智天皇が自分の子である大友皇子を次の後継者にしたいと考えた事が争いの原因となりました。
結果的に大友皇子は敗北して自殺し、翌年、大海人皇子は即位して天武天皇となります。
その実態や経緯についてはまだ謎に包まれていることも多いようです。
老翁が実は吉野山の守護神・蔵王権現であり、姥の正体も実は天女でした。
場面展開も色々ある為、見ていても退屈しない楽しめる能です。
老翁の役が、前シテではありますが鮎の段があったり、
帝の追ってから庇う場面では毅然とした迫力が必要であったりと重要な役どころで、演じられる方も難しい役どころなのだとか。
天女の舞も五節の舞と呼ばれる舞の起源とされていて、静かなだけの舞ではなく面白いです。
五節の舞…天武天皇が吉野宮で琴を弾(だん)じたときに、天女が降臨して袖を五度翻して舞ったものをもとにつくられたという伝説があります。
その後に現れる蔵王権現も豪華な装束で現れ、舞う時間はそこまで長くはありませんが神々しく、力強い存在感があります。
この蔵王権現について少し紹介します。
蔵王権現は修験道の本尊です。
正式名称は金剛蔵王権現、または金剛蔵王菩薩と言います。
修験道とは日本古来の山岳信仰で、山へ籠もって厳しい修行を行うことで悟りを得ることを目的としています。
調べてみると分かりますが、修行は私のように高所恐怖症だと絶対無理だと確信できるほど過酷ですし、危険です( ;∀;)
仏教に取り入れられた日本独特の宗教でもあります。
修験道の実践者を修験者または能の中でもよく出てくる山伏と呼びます。
仏はインドに起源がある事が殆どですが、蔵王権現は日本独自の仏様です。
蔵王権現は、役小角(飛鳥時代の呪術者。役行者)が、
吉野の金峯山で修行中に示現(仏・菩薩 が衆生を救うために種々の姿に身を変えてこの世に出現すること)したという伝承があるそうです。
また蔵王権現は、釈迦如来、千手観音、弥勒菩薩の三尊の合体した仏だとされています。
今でも三体の蔵王権現像が、奈良県吉野町の金峯山寺本堂(蔵王堂)に本尊として祀られています。
↓のHPで三尊並んでいるのが見られます。御開帳は限られた期間のようです!
ワールド航空サービス「蔵王権現特別開帳と奈良のまち歩き」
凄い迫力です!!一回観に行ってみたいですね~(´▽`)
金峯山寺は、桜の名所として知られる吉野山のシンボルであり、修験道の総本山です。
金峯山寺HP
http://www.kinpusen.or.jp/
吉野山。
春に桜が咲き始めるととても綺麗です。一番上にあるのが金峯山寺になります。
◆蔵王権現の像容
蔵王権現は明王像と類似しており、激しい忿怒相で、怒髪天を衝き、右手と右脚を高く上げ、左手は腰に当てています。
この国栖の能で使用する面は通常「大飛出」ですが、今回描いたような「不動」という面が使用される事もあります。
この不動という面、まさしく不動明王を現わした面で、悪魔を降伏させる威力をもつと言われているそうです。
右目が天を、左目が地を向いてるので「天地眼」と呼ばれ、天と地を一度に見渡せるのだそうです。
少し見た目は怖いですが、実際は迷いの世界から煩悩を断ち切るよう導いてくれる慈悲深い仏様です。
ちなみにこの不動明王は、
大日如来の化身であり、五大明王の一人であり、ソシャゲとかで登場しているインドのシヴァ神と同一神です。
話が逸れましたが、金峯山の本尊の蔵王権現と、今回描いた不動の面がそっくりに見えたのが面白くて、あえてこの面で描かせて頂きました。
上の狩衣は火焔太鼓の文様、腰帯は雲の紋(名前分からず)、下に着けている半切(袴)は雲立涌。立涌文様の一つです。
金の袴で豪華ですね~(*’▽’)
背景は最初吉野山の守護神なので吉野山を描こうとしたのですが、脱線してぼんやりしてしまいました。
焰を仏像でも纏っているので、炎や光を発しているイメージです。
通常は赤頭に大飛出の面、紺色の狩衣姿が多いとの事です。
いずれまた挑戦したいと思います!
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