能「吉野静」より、静御前を描きました
場所 大和国 吉野山(奈良県)
季節 初春
分類 三番目物
登場人物
シテ:静御前 ワキ :佐藤忠信
あらすじ
源義経は梶原景時の讒言によって、兄頼朝から咎めを受け、余儀なく都を落ちて吉野山から落ち延びる事になった。
家臣の佐藤忠信は衆徒の追跡を断念させるため、静御前と謀を巡らせる。
忠信は都の参詣者に扮装して衆徒へ頼朝と義経が和解しそうだという噂や義経一行の武勇を吹聴し、彼らの戦意を喪失させようとした。
次いで静御前が舞装束を身にまとい勝手明神の前へと現れ、神前に集まる衆徒(僧兵)たちに義経を敵に回すことの愚かしさを説き、法楽の舞を舞う。
衆徒たちは静の舞の素晴らしさに興じ、また義経の武勇に怖れて、ついに追跡を諦める事となった。
こうして義経を無事に吉野山から逃がす事が出来た静は望みが叶って安心し、心静かに都へと帰っていくのであった。
静御前
この能は義経記を典拠として作られた演目です。
以前描いた「船弁慶(作品ページ)」という能がありますが、この演目のすぐ後の話となります。
(都落ちした義経の一行が九州へ渡るべく大物浜(尼崎市)から乗船するが、暴風雨によって難破し一行は離散。この船の難破を平家の怨念だとして描いた能)
壇ノ浦の戦いで平家を滅ぼした源義経は、
梶原景時の讒言(ざんげん/他人を陥れる為、事実を曲げて人を悪く言うこと。)によって咎を受け、
兄・頼朝と対立し、追っ手から逃れて落ちのびてゆきます。
この能は義経一行が奈良県の吉野山に逃れたときの逃亡譚を描いています。
ワキは佐藤忠信という源義経の家臣で、『源平盛衰記』では義経四天王の1人です。
シテの静御前は平安時代末期から鎌倉時代初期の女性白拍子で、源義経の妾です。
白拍子とは平安末期から鎌倉時代にかけて流行した歌舞で、
白い直垂(武家社会で用いられた男性用衣服)
水干(男子の平安装束)
立烏帽子を頭に被り、白鞘巻の刀をさして舞ったので、「男舞」とも呼ばれていました。
古く遡ると巫女による巫女舞が原点にあったとも言われており、
もともとは神に捧げる性格のものだったそうです。
次第に芸能を主としていく遊女へと転化していき、そのうちに遊女が巫女以来の伝統の影響を受けて男装し、男舞に長けた者を一般に白拍子とも言うようになりました。
しかし、遊女とは言っても白拍子を舞う女性たちは見識の高い人物が多く、遊女であれば誰もがなれるといった生業ではないようです。
静御前の母も白拍子で磯禅師といい、京から他の白拍子を派遣する役でもありました。
義経が兄の頼朝と対立して京を落ちると磯禅師と静は鎌倉へ送られ、頼朝と政子の命令で鶴岡八幡宮で舞を舞うこととなります。
その時に静は次のように詠いました。
「賎やしづ しずの苧環(おだまき) くりかえし 昔を今になすよしもがな」
(静よ静よと繰り返し私の名を呼んでくださったあの昔のように懐かしい判官様の時めく世に今一度したいものよ)
「吉野山峰の白雪踏み分けて 入りにし人の跡ぞ恋しき」
(吉野山の峰の白雪を踏み分けて姿を隠していったあの人(義経)のあとが恋しい)
どちらも義経の事を思った内容であったので頼朝を激怒させましたが、静の舞を見て感銘を受けた政子が頼朝に取り成して命を助けました。
静は鎌倉で義経の子を産みますが、男子であったため頼朝が殺害を命じます。
静は泣き喚いて離しませんでしたが、磯禅師が子を取り上げて安達清常に渡し、子は由比ヶ浜に遺棄されたそうです。
その後、磯禅師と静を哀れに思った北条政子と大姫は、2人に多くの重宝を与え京に帰しました。
勝手神社(勝手明神)
勝手神社 かってじんじゃ と読みます。
静が舞った勝手明神とは、奈良県の吉野にある神社の事です。
御祭神は 愛鬘命(うけりのみこと/うけのりのみこと)と言われていたそうですが、
現在の主祭神は天忍穂耳命とされています。
吉野大峰山の鎮守社で、同じく山腹に建てられている吉野水分神社の神は「子守明神」と言い、この勝手明神と子守明神は夫婦神であるとされているそうです。
以前描いた「国栖」という演目に登場する蔵王権現とも関係があるのだとか。今回調べていて初めて知りました。
蔵王権現が祀られている金峯山寺も同じく吉野にあります。
神社の謂われより、
1185年暮、
吉野山で源義経と別れた静御前は、従者に金銀を奪われ山中を彷徨っているところを金峯山寺の僧兵に捕えられて、勝手神社の社殿の前で舞い、荒法師たちを感嘆させたのだといいます。
境内には、静御前の舞塚があります。
能のみどころ
この能は歴史上の人物が登場しますが、亡霊ではなく現在軸で物語が進んでいます。
夢幻能が死者の霊、怨霊などこの世の者ではないものを主役とする能であるのに対し、
実際に存在する人たちが登場し時間の経過とともに話が展開する能の形式を「現在能」と呼びます。
前半では義経が追手から逃れる為のしんがりを努める事となった佐藤忠信が、静御前と一緒に策を巡らせるなどの問答があります。
そこで忠信は都からの参詣者に変装し、大講堂で開かれる衆徒達の評議へと潜り込みます。
そこに居た衆徒へ、「頼朝と義経はもともと兄弟であるのだから、結局は仲直りされるであろう」などとの噂(嘘の話)を流しました。
静は勝手明神の前で舞の装束を着け、忠信との約束を信じて待ちます。
忠信が現れると、策略通り勝手明神へと奉納する法楽の舞(神法楽舞しんほうらくのまい)を舞います。
義経を追おうとしていた者たちは静の説得と、舞の美しさに見惚れて遂に追うのをやめる事となりました。
このように静の美しい舞が見どころの、重すぎず軽すぎる事もないすっきりとした気持ちで見れる演目です。
話の中で桜の花が登場する和歌やたとえなどは特に強調されていませんが、シテも桜の紋様の長絹を着ていたり、舞台が吉野山であったりと、自然と美しく舞う静と桜の花が浮かんできます。
装束について
頭には静烏帽子を被り、若くて可愛らしく、美しい笑みを浮かべている「小面」の面をかけます。
小面の能面は意外と今迄モデルとして描いた事が少なく、直近だと絵馬のアマノウズメが小面の面でした。若々しい印象のある面です。
ちょっと増のお面っぽくなってしまったようにも思います。もう少し頬をふっくらさせても良かったのかもしれません(笑)
長絹は白系が多いですが、桜が浮いて見えてしまったので少し桜色気味になりました。このぐらいの微妙なピンクって綺麗だなと感じます。
桜の花が連なった模様に観世水(かんぜみず)の紋様を合わせました。
お互いが喧嘩しない色合いを探すのが難しかったですが、良い雰囲気に仕上がったと思います。
中には上には摺箔、下には縫箔を腰に巻き付ける形で着けています。
こちらも実は袴が圧倒的に多いと思うのですが、あえて着物型の縫箔に。
ここのところ袴装束が続いてるので縫箔を描きたいなと思ったのと、絵的に華やかにしたかった思いがあります。
過去作品と比べてみても華やかな表現が出来たと思うので満足しています。
こちらには桜や菊、流水、扇面などの紋様が入っています。
今回は長絹も縫箔も資料に忠実ではなく、かなり自分好みに描いてしまったので、いつもよりもトーンが明るめになったように思います。
扇も桜の柄に。
背景には吉野山をイメージして春の曙風な景色へ。長絹に使用した桜の模様を背景にも散りばめています。静の背後にも桜の花が。
装束から背景までとことん桜尽くしの作品となりました。
ご覧になった方にも暖かくやわらかな春の雰囲気を感じてもらえるよう願いながら描きました。
まだ静が登場する演目がありますので、またいつか描きたいです。
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