能「加茂」より 別雷神です
登場人物
前シテ 里の女(御祖明神の化身)
後シテ 別雷神
前ツレ 里の女(御祖明神の眷属)
後ツレ 天女(御祖明神)
ワキ 室明神の神職
ワキツレ 従者二人
場所
山城国加茂 《京都 糺の森 御手洗川のほとり》
季節
晩夏/脇能
あらすじ
播磨国(兵庫県)の室の明神に仕える神職の者が、
ある夏京都を訪れ、室の明神と御神体が同じと聞く下鴨神社へ参詣する。
そこには御手洗川の川辺に真新しい祭壇が築かれ、白羽の矢が祀られていた。
折しも里の女たちが水を汲みにやってきたので、神職はその祭壇について謂れを尋ねる。
里の女たちは神職に、実はこの矢こそ上賀茂の祭神・別雷神の姿だと語った。
「昔、加茂の里に住む秦氏の女が毎日川に出て、神に手向ける水を汲んでいた。
ある時、一本の白羽の矢が水桶に止まったので、それを家の軒に挿したところ、男の子が産まれた。
その子は三歳になった時”父はこの矢である”と言った。
すると、矢はすぐさま雷、すなわち別雷神となって天に上った」
さらに、その母も神となり、矢、母、子の三神が加茂の三社に祀ってあることを教えた後、
そんな故事を語り終えた女たちは川の風情を讃えつつ神に捧げる水を汲んでいたが、やがて自分たちが神の化身であることを明かすと、姿を消してしまう。
その夜、御祖明神が天女のかたちをとって姿を見せ、美しい天女の舞を舞う。
さらに別雷神も勢いよく登場し、雷雨を呼び起こして神威を示す。
やがて御祖神は糺の森へと飛び去り、別雷神は虚空へ上がっていくのであった。
賀茂の社
賀茂の社は、上賀茂神社と下鴨神社の2社の事です。
かつて両社の地を治めていた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として祀られてきました。
賀茂の社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として京都という都市の形成に深く関わってきたそうです。
この能では、その賀茂神社の縁起を語るとともに、御祖の神と京都を守る別雷神とが出現して、五穀成就や國土守護を誓います。
この能は古名では「矢立鴨(加茂)」と言ったそうです。
話の中でも出てくる白羽の矢が加茂明神の御神体であるという縁起の話が基となって構成されています。
下の山城国風土記にその話が記されています。
「丹塗矢」縁起
『山城国風土記』逸文
玉依日売(たまよりひめ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたところ懐妊し、
それで生まれたのが賀茂別雷命で、
兄玉依日古(あにたまよりひこ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝える。
丹塗矢の正体は、乙訓神社の火雷神とも大山咋神ともいう。
玉依日売とその父の賀茂建角身命は下鴨神社に祀られている。
(Wikipediaより引用)
能の中では、玉依日売ではなく「秦の氏女」が懐妊しています
これは「秦氏の女」という意味だそうで、
秦氏は3世紀から7世紀にかけて朝鮮より帰化したとされる、古代の有力な帰化氏族のことです
秦氏一族は稲荷神社などを創祀したことでも知られており、蚕や絹などによる織物中心に、様々な技術を日本に伝えました
縁起の中の玉依日売が実は秦氏の女であったのか(秦氏の女が玉依日売として祀られている?)、
物語の関係上、玉依日売を秦氏の女と言い換えただけなのか、
本当のところは分かりませんが、気になる部分でした
賀茂別雷神社(通称:上賀茂神社)
京都市北区上賀茂本山にある神社。
京都最古の歴史を有する一社。主祭神は賀茂別雷大神になります。
賀茂御祖神社(通称:下鴨神社)
京都市左京区下鴨泉川町にある神社。
本殿には
右に賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、
左に玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため
「賀茂御祖神社」と呼ばれます。
八咫烏は賀茂建角身命(賀茂氏の始祖)の化身とされています。
こちらの神社の境内に糺の森、能の中でも登場する御手洗川があります
(神社の写真は京都フリー写真素材様よりお借りしました)
御手洗社の水は葵祭の斎王代清めの聖水でもあります。
また、賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(葵祭)でも有名な神社です
加茂明神
今回描いたシテの別雷神とは、
「雷を別けるほどに強い力を持つ神」という意味です
本性は雷神であり、農業に関係する雨と治水を司る神、厄除・災難除け・必勝の神として古来より信仰されました。
先に引用した『山城国風土記』の分にも書いてありましたが、
賀茂別雷命の父は 火雷神 と 大山咋神 との2つの説があるそうです。
風土記の続きで
その後賀茂別雷命が成人し、祝宴の席で祖父の賀茂建角身命が
「汝の父と思はむ人に此の酒を飮ましめよ(お前のお父さんにもこの酒をあげなさい)」
と言ったところ、
賀茂別雷命は屋根を突き抜け天に昇っていったので、
この子の父が神(火雷神=雷神)であることがわかったとされていることも書いてありました。
加茂明神は、前作で描いた「班女」でも京都・糺の森という同じ舞台という事もあって登場していました。
今回加茂を描くと決めた時には特別意識していた訳では無かったのですが、偶々繋がりました。
いくつかの能にも登場するので、昔から人々に親しまれていた神様であったと考えられています。
能のみどころ
「加茂」も流派によって表記が違う能で、
観世流、喜多流では「賀茂」、他の流派では「加茂」が使われます。
前半、室の神官が御手洗川の祭壇に白羽の矢が立っているのを見つけます。
そこに水汲みに来た若い女が二人あらわれ、
「御手洗や清き心に澄む水の賀茂の河原にいづるなり 」と歌うのです
この場面では川の名前や様子が謡われ清々しさが漂います
後半は天女に変じた御祖神の舞や、別雷神の雷鳴を表した拍子を踏み轟かせる場面が演じられます。
雷鳴を表す足拍子の部分では、
「ほろほろ とどろ とどろと 踏みとどろかす」と雰囲気たっぷりに謡われ、足拍子と相まってまるで雷が近づいてくるような高揚感が感じられます。
美しい天女の舞も、風雨を自在に操るさまを謳いながら舞われる雷神の舞も観られる見どころの多い演目です。
舞台には矢立ての白羽の矢が立てられます。
装束について
頭には赤頭と唐冠を着け、右手には御幣を持っています
また、頭には白い飾りが付いています
加茂は「荒神物」と呼ばれる種類の演目になりますが、荒神の登場する能全てにこの飾りや御幣が付くという事でも無いようなので、加茂にのみ使用されるのかもしれません
面は大飛出という面で、金泥で彩色され、大きな丸い目、大きく開けた口、耳をもちます
「怨霊となった菅原道真が怒り、柘榴を口から吐き出した時の顔」とも表記され、雷神を表す能面です
以前描いた「雷電」と一緒の面になります
上の袷狩衣には桧垣・網代の文様に唐花、三つ雲巴という文様が描かれています
半切袴には松皮菱と輪宝紋
腰帯は三つ巴の周りに九曜の紋が付いた丸紋です。
最近赤頭の能が続き気味ですが(笑)、その中でも落ち着いた雰囲気で表現しようと試みた作品です
金が多いですが落ち着いた色合いに描けたと思います
背景は袴にも使った松皮菱を重ねて、雷に見えるようイメージして描いてみました
重ための色なので背景は爽やかな色にしています
夏~晩夏の爽やかさも感じてもらえると嬉しいです
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