能「八島」から、源義経の霊を描きました。
八島のあらすじです
都から西国行脚のため旅をしてきた旅僧一行は、讃岐の国に入り、屋島の浦を訪れます。
夕闇迫る頃、一行は塩屋(塩を作るための小屋)の老翁の帰途に出会います。
一夜の宿を請う旅僧の求めを、老翁は侘び住まいのゆえ、いったん断ります。
しかし、一行が都から来たと聞くや、懐かしんで宿を貸してくれました。
旅僧に促され、屋島の合戦の様子を語り始めた老翁は、景清と三保谷の錣引、佐藤継信の忠死、菊王の最期などをまるで見てきたかのようにと物語ります。
不思議に思った僧が名を尋ねると、老翁は義経の亡霊であることをほのめかし、姿を消しました。
夜半に僧が松の根を枕にして夢待ちをしていると、鎧兜を纏った義経の亡霊が現れます。
旅僧が尋ねると、義経の霊であると答えます。ただ、妄執のため西海(屋島の浦)に囚われていると言います。
義経の亡霊は、八島の合戦で不覚にも弓を流してしまったが、自らの名を汚すものかと命を惜しまず、敵の眼前に身をさらして取り戻したことを語りました。
さらに、修羅道に落ちた後の凄まじい戦いに駆られる様子を見せるうちに夜が明けて、僧の夢は覚め、白波、鴎の声、浦吹く風に化して亡霊は消えていきました。
八島の舞台は讃岐国、屋島浦。現在の香川県高松市にある屋島です。
私の習っている宝生流では「八島」と表記しますが、他流では「屋島」になります。
土地の正式名で言えば「屋島」が正しいんですね(*’▽’)
古くは源平の古戦場だった島です。
(Wikipedia引用↓)
【 平安時代末における屋島は、治承・寿永の乱(源平合戦)の局地戦の一つである一ノ谷の戦いに敗れた伊勢平氏が安徳天皇を奉じたまま撤退してきた四国東端の軍事要衝であったが、翌年の元暦2年(1185年)2月に源氏の追撃を受け、屋島の戦いの戦場となった。
『平家物語』のほか、この戦いで源氏方の那須与一が平氏方の軍船に掲げられた扇の的を射落とした逸話などが、今日まで語り継がれている 】
那須与一の扇の的の話は、能の中では出てきませんが間狂言で語られます。
また屋島には、南面山 千光院 屋島寺という真言宗のお寺もあります。
源平の戦いに関する絵巻物や屋島合戦屏風などの寺宝が展示されているようです。
ご本尊は十一面千手観世音菩薩です。・・・・が、
狸がいますね!(*´▽`*)
太三郎狸(たさぶろうだぬき)というようです。
矢傷を受けたところを平重盛に助けられ、平家の守護を誓い、平家滅亡後は屋島に戦や凶事が起きそうな時に屋島寺の住職に伝えていたとありました。
また、太三郎狸は屋島寺の本尊である千手観音菩薩の御用タヌキとして善行を積んだことから、
「蓑山大明神」の法名で、屋島寺に土地の氏神様として祀られているとのことです。
何だかとても可愛い像ですね。本堂や絵巻物なども興味がありますが、この狸も観てみたくなります。
思わず脱線してしまいました。
この能で登場するのは有名な源義経で、「平家物語」を基に世阿弥によって作られています。
能には「修羅物(修羅能ともいいます)」に分類される演目が3つあります。
「田村」・・・坂上田村丸
「箙」・・・梶原景季
「八島(屋島)」・・・源義経
この3つは「勝修羅」と呼ばれ、それぞれ戦いに勝った側がシテとなっています。
修羅道に落ちて苦しむさまが語られることからこう呼ばれるそうです。
反対に「負修羅」もあります。私が以前描いたもので言えば「忠度」と「巴」が当てはまります。
調べてみると10演目以上ありました。こちらのほうが多いんですね(;´・ω・)
今回描かせて頂いた八島もそうですが、使用する扇は勝修羅扇、図柄は「老松に旭日」で、扇骨は軍扇を表す意味で黒になり、能面は「平太」を用いる と決まっています。
恥ずかしながら今回調べてて初めて知りました(!)
・・・確かに田村と八島ってぱっと見だと分かりにくいです。箙は梅の花が目印で分かりますが(@_@;)
能の中では最初に現れる老翁が義経主従の活躍を語り、後半義経の霊が現れてからは妄執によって死後に修羅道へ落ちたことへのの苦しみが描かれています。
今大河ドラマ(鎌倉殿)でやっている義経のイメージ像が、〇年前に放送されていた義経と全然違うので私の中でも義経分からない状態になっていますが、小柄で力は弱いですがとても才能に溢れ、戦上手だったというイメージです。
大河観てると少し自信家だったり自分勝手な行動もかなり多いなと感じます(笑)
それと有名な武蔵坊弁慶が側近でいますね。今の大河は存在感薄いですが(笑)
八島の能の最後の場面、
シテ「今日の修羅の敵は誰そ。何能登の守教経とや。あら物々しや。手並は知りぬ。思ひぞ出づる壇の浦の。」
地:其 船軍今ははや。其船軍今ははや。閻浮に帰る生死の。海山一同に。震動して。船よりは鬨の声。
シテ「陸には波の楯。」
地:月に白むは。
シテ「剣の光。」
地:潮に映るは。
シテ「兜の。星の影。」
地:水やそらそら行くもまた雲の浪の。打ち合ひ刺し違ふる。船軍のかけ引き。浮き沈むとせし程に。春の夜乃浪より明けて。敵と見えしは群れゐる鴎。鬨の声と聞えしは。浦風なりけり高松の。浦風なりけり高松の朝嵐とぞなりにける。
この部分がキリで仕舞の部分になるのですが、私が習い始めの頃この八島を舞っている方が居て、
迫力に圧倒されました。謡もリズムや詞章がとても良いのか、一回聞くと忘れません。
上の文章を打ってて気づきましたが、現代人じゃ絶対読まない様な読み方が多いです。
ですが不思議と読めてしまいました。それ位、印象に残り易く、見応えのある場面です。
でも仕舞も謡も物凄く難しかったので苦労した覚えがあります。・・・もう出来ません(笑)
今回描いていて、良い能なのだという理解が一層深まった気がします。
背景は、最初は修羅道をイメージして描くべきかとも思いましたが、八島を調べる内に瀬戸内海の春の夜明けの写真などに行きつき、綺麗で目を奪われました。
八島の最後の場面、義経は僧の前で修羅道の妄執に駆られて苦しむ様子を舞で見せ、消えた後には春の美しい海と鴎、浦風、松吹く朝嵐と、大変綺麗な表現の情景のなか終わります。
瀬戸内海の春の海が、私のなかではイメージにぴったり合った情景でした。
刀を刺す場面など、良い場面が他にもあるのでまたいつか描きたいと思います。
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